さかなの瞼

diary of chapter6

生きることを改めて想う日

原爆投下から69年が経ち新たな証言が出てきた。小倉への原爆投下予定当日、八幡製鉄所で「コールタールを燃やして煙幕を張った」というのだ。北九州で生まれ育った私は幼いころから小倉に落とされるはずの原爆が長崎に落とされた事、理由は前日の空襲や天候の影響で視界不良だったことを聞かされていた。タラレバは言っても仕方ないのだけど北九州で終戦の2年後に生まれた父やその後生まれた母を思うと、もし小倉に投下されていれば私の今はなかったのかもしれない。と思わずにはいられない。北九州と言えど広いが直接被害を受けなくとも間接的に何らかの影響は与えたはずだ。

そんな事で日々に追われつい忘れがちになるが、この時期には改めて「生きる」ということを意識させられるのです。与えられた命と奪われた命と与えも奪われもしなかった命と。

いずれもこれまで公言できなかった理由は長崎の犠牲者のことを思ってのことだという。それを自身の中に留めるのは辛い年月であったであろう。けれど被災者側からは投下地点がどこであれ、悪いのは市民の生活圏に原爆を投下したことである。とコメントしている。

しかし当のアメリカは原爆投下を正当化し直接かかわった兵を英雄としている。確かに原爆投下で戦争は終結したし世界は何かに気付いたのだと思う。勿論唯一の被爆国として容認はできないのだけど、何が正義というのはなかなか難しいのです。