さかなの瞼

diary of chapter6

急いで年賀状 2016

もう最近はネットでググれば色んなテンプレートを使えるので楽チンです。でもいざ届いて他人とテンプレが被っていたら少し恥ずかしいかも(笑)

といいつつなかなかセンスの良いテンプレートを探すのも大変だ。そんなときこんなサイトを見つけた。会員登録は必要だが、割とオサレなものが用意されている。

www.new-year.bz

今年…というか2016年用にこちら↑から3パターンほど採用させていただいた。因みにフル印刷(印字)は個人的に温かみがない感じがするので、宛名は毎年直筆です(こだわり)。例えばこんな感じです↓

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MY LITTLE LOVER

https://www.instagram.com/p/_J5uihR9zd/

20年という歳月。 #mylittlelover #evergreen #jpop #music

当時はまだ音楽配信なんてものはなくて確かCDを手にしたのは上野だったような気がする。20年も経ったことは信じられないが、20年後はもっと信じられない。というか想像したくもない…苦笑。

マイラバは好きでミリオンヒットした1stにはじまり、実質最後となったFANTASYまでアルバムは欠かさず手にした。1stだけが商業的には大成功だったが、2nd以降のアルバムもクオリティは高かったと思う。

というわけで20年振りの新作。FANTASYから数えれば11年振りとなるが、相変わらず小林武史の手がける作品はポップでキャッチーだし、akkoの下手さ加減も健在だ(笑)。いや、この下手さ加減というのは褒め言葉で、歌が上手ければ良いというわけではない…ということを教えてくれます。やはり魅力はその透明感なんだろうか?素直に新作として聞くにも相応のクオリティだし、でもやっぱりセンチメンタルに浸りながら聴くのがお勧めな作品なのだろう。

evergreen

evergreen

 
re:evergreen

re:evergreen

 

 

Photobackさんでフォトブック。3冊目

https://www.instagram.com/p/_KxlZuR9_a/

3年目の浮気もなく、 #photoback さんで3冊目。 #photo #life

相変わらずスマホで撮る画像は減る傾向もなく、どんどん増殖中。1年間だとその数は数千を軽く超えるのでフォトブックにするにも写真の選定から一苦労です。きっとこの先数年は似たような感じなのかもしれないけど、きっと子供の成長とともに写真の数も減ってくるんだろうな。そうなったら流石に年1冊ペースは難しいのかもしれない。例えばその内複数年で1冊…みたいになるのだろうか?止め方も難しいなぁ…なんてことを考えたりする今日この頃。まぁその内フォトブック自体が過去のものになるのかもしれないが。

www.photoback.jp

漁港の肉子ちゃん

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

漁港の肉子ちゃん (幻冬舎文庫)

 

普通に面白かったのだけど、やはり大衆小説は自分にとって娯楽の域を超えないし、ソレに時間を費やすのは費用対効果としてあまり得策でないということを改めて感じた。まぁ通勤電車の中でスマホに流れるくだらないSNSの類を眺めるよりは意味のある行為のようには思うが。そうゆう意味では年に1冊位は読んでもよいのかも?

人の目を気にせず空気を読まずありのままの…とか書くと例の映画みたいだが、それに比較して人の目が気になり空気も一定読めてしまう繊細さ。その両極端な親子が寂れた街で織りなすあんなことこんなこと。といった物語。前者は見た目も太っていて不細工で?でも皆から愛されて??後者はその逆?

なんとなく言わんとしていることが、太っていても不細工でも他人を気にせずありのままでいることの素晴らしさ。的な含みもあるのだけど(勿論それだけではないが)果たしてそうだろうか?きっと誰からも愛されるであろうそのキャラは、だからといって自分がその立場になりたいというのとは別な気がする。うがった見方をすれば、それは…無意識のどこかでほんとは見下していて、繊細な自分に優越感を抱いているだけではないか?他人を気にせずありのまま振舞えることを表面的に羨むも、他人を気にして素直に振る舞えない自身もそれはそれで十分愛おしい存在なのではないだろうか?つまり誰からも愛されるというのは言い換えれば自身の価値を見出してくれる相手であるから他ならないのでは?と。

因みに終盤、キクりん出生の秘密が明かされるところは、子を持つ親としては素直に感動を覚えました。

 

「幼年期の終わり」アーサー・C・クラーク著(1953年)

なんだか最近は無性にSFが読みたいのです。ということで「2001年宇宙の旅」でも有名なアーサーCクラークの作品。ミステリーの要素もあってなかなか面白かったです。序盤の現実感と終盤のぶっ飛び感のギャップが個人的には少しアレだけども、相対性理論に基づく未来への一方通行タイムマシンの理屈なんかもあり、日常に疲れた脳にはよいリフレッシュになるかと。

タイトルにある「幼年期」は作中では人類のそれを意味するのだけど、単に親から見た子供という視点でも当てはまるのかと思います。子供にとっては親は何でも知っているし何でも与えてくれるし絶対的な立場なのだけど、成長を通じて親にも限界や制約があったりすることを理解する(作中での人類が思い描くオーバーロード)。一方親からみても、無限の可能性を秘めた子供を導くというのは何とも感慨深いものだ(作中でのオーバーロードが人類に託す想い)。

そうゆう意味では「(親は)干渉してはいけない」という言葉にも考えさせられるし、その他一定の規模の組織の統率の方法や宗教といった事柄にも触れられていて奥深い。

とにもかくにも半世紀経っても十分楽しめる作品というのが素晴らしいし、これからももっと名作SFを読んでみようと思いました。

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341))

 

 

傾くマンションと日本人

相次いで同様のことが発覚しているということはもはやこれは業界で常態化しているということでしょう…?。これは担当とか会社とかの問題ではなく、要因の1つとしては日本人の金銭感覚の欠如からきた結果であるともいえる。

モノには適正価格というものがある。高品質で安いものなんかあり得ない。高品質なものは相応にお金がかかるし、低品質はその逆である。しかし多くの人がそれを錯覚してしまった。マンションにも牛丼のソレを勝手に当てはめているのだ。

「うまい、やすい、はやい」

それはそれとして、経営サイド…似たような事柄が日本を代表するような大企業でも相次いで起きていることを考えると、もう今の日本人に正攻法で利益を出せることを期待するのはナンセンスなんだろうか。まぁ確かに過去の高度成長の成功体験にすがっているようでは、いつになっても変化著しい時代を乗り切っていくことはできないのだろう。