さかなの瞼

diary of chapter6

「方舟さくら丸」 安部公房著(1984年)

2回目読了。やはり安部公房作品は期待を裏切らない。いや正直なところ他の好きな作品に比べると必ずしも上位に来るわけではないが、やはり公房故の着眼点は流石である。あえて難を言えば終盤の急展開…登場人物が急増してからの雑多な印象は残ってしまった。因みに日本人作家で初めてワープロを使った作品であるという事らしい…?

内容は今風に言えばコミュ障の自称モグラが世界の破滅(核兵器の脅威)に備えて採石場跡地を塒とし、来る時に備えて共同生活者を探す。といったものだ。つまり現代版ノアの方舟。ただ救済すべき共同生活者は主人公の御目に適う必要があり、その相手をなかなか決められないでいた…。しかし、とあるセールに足を運んだのをきっかけに事態は加速度的に進展していき、、

改めて書く事でもないが本当に安部公房の描く主人公は嫌な性格である。今回も肥満であることを自覚しつつも自責ではないと認識していたり、豚という呼称に異常なコンプレックスを持っていたりする。しかも誰かと対峙する場面では理屈をこねて常に上から目線なのだ。だからといって全てを憎みきれないのは公房ならではで、主人公が嫌な人間であると同時にそれは誰もが共通して保有している利己的なずる賢さのようなものでもある。それを読者に認知させるからだ。いや、仮にそれが私だけに芽生える感情だとすれば、私は世間にとって案外嫌な人間なのかもしれない(笑)

さて現代版ノアの方舟(方舟さくら丸)は主人公の思うように事は運んでくれない。予定では主人公が絶対君主である船長になるはずが成り行きで集まった組織の中ではリーダーとしての力量がないことがバレそうになってしまうし、紛れた女性に安易な下心を抱いてみたりと、現世界で主人公がコミュ障としてひきこもりになった経過を再現するようで滑稽だ。結論はネタバレになるのでここでは書かないが、その物語に加えて魅惑的なアイテムが散りばめられていて楽しい。オリンピック阻止同盟に自身の糞で生きながらえるユープケッチャという昆虫。何でも流せる便器。…公房風に言えば、現代は便器社会ともいえるのではないか?食べる排泄寝る食べる排泄寝る…あ!これってGRAPEVINEの「VIRUS」だな。…そしてサクラ。さくら。桜。

いずれも作品の内容は発表当時(1984年)の時代背景にも通じる部分があるかもしれない。音楽が商業主義に侵されはじめた虚無感や透明感。日本ではテレビゲームが台頭(前年にはファミリーコンピューター発売)。いつでもやり直せるリセットボタン。各国が核兵器を保有し自国の強さの顕示に余念がなく…。いや、言い換えれば今を生きる人々へも十分あてはまる内容だろう。核の脅威に晒され、自分の非を認めない自己中な人々。便器からさほど離れなくても生きて行ける便利な世の中。未来を予見というか、現代における普遍的な人間の本質を見極めていると言わざるを得ない。てことで改めて安部公房はすごいなぁ…と。

方舟さくら丸 (新潮文庫)

方舟さくら丸 (新潮文庫)